エレコラ

鬼畜エレファントカシマシファンJohnnyによる音楽コラム。



エレファントカシマシの紹介・推薦文

(これはファンによるエレファントカシマシの紹介・推薦文である。) 

 

美しい日本。

美しい日本語。 

日本語ロックの伝道師。

 

日本の洗練された言葉と、美しいメロディを、ロックで表現させたら、右出るものは皆無。平成を駆け抜け、また現在から未来へ駆け出す、世界屈指のフロントマン宮本浩次率いる、31年間メンバー不動の日本のロックバンド。

 

その名は、エレファントカシマシ

  

 

今日は、彼等の30数年間の音楽の歩みと、ファンとしてその素晴らしさを、声を大にして此処に紹介したい。

 

■誕生以来52年

 時は1964年、今から54年前。日本で初めて悲願のオリンピックが開催された。「東京オリンピック」である。日本は高度経済成長期を迎え、活気に満ちて居た。オリンピックの為に、東京では交通機関・インフラが整備され、首都高速が聳え立ち、国立競技場や日本武道館等の施設が建設される。カラーテレビも普及し、日本経済に「オリンピック景気」と言われる好景気をもたらした。 日本中が沸き立っていた2年後、1966年、東京都北区。東京23区内としては初めての大規模団地として造成された赤羽団地。のちに出逢う3人の少年は、此処で生まれ育った。少年のうちのひとり、宮本浩次は、目立ちだかり屋のやんちゃな少年であった(それは未だ変わらない) 。1976年、10歳の宮本少年は母の勧めで、小学生の数年間、"NHK少年児童合唱団"に通い、音楽に目覚める。NHK「みんなのうた」に抜擢され、10万枚のヒットを飛ばすなど、唄の才能を十二分に発揮し、音楽の素晴らしさ、唄うことの楽しさを覚えた。

 

■運命の出逢い

1979年、中学校の入学式で彼は運命的な出逢いを果たす。宮本の生涯の相棒となる、石森敏行と、同じ1年6組のクラスメイトであった兄貴的存在、冨永義之との出逢いだ。同じ赤羽団地育ちだった3人は、直ぐに意気投合。Gt.石森と、Dr.冨永で組んでいたバンドに、宮本がVo.として加入。1981年に、ロックバンド「エレファントカシマシ」をスタートさせた。そして、1986年。富永の高校の同級生で、精巧なルックスの持ち主、高緑成治(東京都中央区月島生まれ)が、Gt.からBa.に持ち替えエレファントカシマシに加入。高緑加入時には、真っ暗闇の中、4人が揃い、当時はまだ何も無かったお台場で、乾布摩擦をし決起集会をしたらしい。以後、彼等はオーディションなど数々の大会を荒らして話題となる。同年にCBS・ソニーSDオーディションに合格。

 

【衝撃のデビュー】

1988年3月21日、多大なる期待を背負い、満を持してエレファントカシマシはレコードデビューを果たす。 

鳴り物入りのデビューで、大ヒット間違いなしと言われたエレファントカシマシだったが、セールスが伴わず7年で契約解除となる。その間、文語調の日本語の美しさを最大限にロックの中に封じ込めた、3rd Album「浮世の夢」(ベランダに飛んでくる雀の可愛さを歌ったロック歌手が未だ嘗て居ただろうか……?)や、宮本の研ぎ澄まされた才能が、遺憾無く発揮され尽くした"エレカシの核"でもあろう衝撃の名盤、4th Album「生活」を発表。今では伝説と言われている、3000人限定の日本武道館でのコンサートを行うなど、一部のロック通や、同業者に熱烈に支持される。7年の間に出された表情豊かな7枚のAlbumを、愛聴するファンは未だ多い。 

 

1995年、メジャーレーベル契約終了後、エレファントカシマシは宮本以外、アルバイトで生計を立て、ライブハウスで活動しながら長い浪人時代を過ごす。宮本は「絶対売れるから!」とメンバーを引き留め、希望を捨てなかった。流行りのヒット曲を聴き、悔し涙を流しながらも、良いところを吸収し勉強。決して腐らなかった。自宅のある赤羽団地で「こんなの作ったら死ぬなあ……」と言いながら制作された「四月の風」と「悲しみの果て」は、多くの人のココロに届くこととなり、新しい事務所や、レコード会社も決まる。エレファントカシマシ、快進撃の序章であった。  

 

■第一次黄金期

そして1997年、エレファントカシマシ初のタイアップとなったドラマの主題歌「今宵の月のように」が80万枚を売り上げ大ヒットとなり、一躍世間に注目され、バンド第一次黄金期を迎える。TVから同曲が流れてきた時は「東京中に自分達の曲が流れてるみたいで嬉しかった」と宮本は話す。CMソングや、ドラマ出演も決まり、表舞台に立つことが多くなったが、音楽以外でココロを疲弊しなければならない環境下で、次第に音楽制作にも変化が出始める。


今宵の月のように/エレファントカシマシ

 

10th Album「愛と夢」ではMTR使用した打ち込みでの制作にも初挑戦。3枚のAlbumを経てレコード会社を移籍。1999年、移籍後1発目で明らかに今までと路線の違う曲「ガストロンジャー」を発表。皮肉にも、高度経済成長期に生まれ、生きてきた宮本は、東京を愛するが故に、"川"や"お堀"の上に「1964年東京オリンピック」の為に立てられた首都高速を見ては、「江戸時代が好きで、首都高速ができる前の東京が見たかった。」と語る。「歌詞の中では思いっきりワガママでいいんじゃないか」とロックンロール・ミュージシャンとしての在り方を音楽という枠の中て貫いた。この曲は、20年近く経った今でも、コンサートやフェスで必ず披露され、ファンに絶大な支持を得ている。 

  

以後も、日比谷野外音楽堂でのコンサートも継続して実施(29年連続開催はエレファントカシマシだけ)し、地道な活動を続ける。2003年、ロックバンドとして音楽を届けたいと、4人にしか出せないグルーブ感を持ったバンドサウンドに原点回帰した、宮本セルフプロデュースの14th Album「俺の道」や、2004年発表の15th Album「」では、宮本自身が敬愛してやまない、日本文学の巨匠・森鴎外の生き様や、永井荷風の名前を歌詞に反映させたりと、エレファントカシマシならではの楽曲が作られていく。

 

2006年、Dr.冨永義之の病気によりツアーが延期になったりと、バンドの危機を乗り越えながらも楽曲を制作は辞めず。以後、2枚のアルバムを制作し4度目のレコード会社の移籍となる。この移籍が、今後のエレファントカシマシの進む道に、明るい光をもたらす事となった。

 


エレファントカシマシ「俺たちの明日」

 

■第二次黄金期

2007年、現所属レコード会社に移籍。チームで一丸となってヒット曲を作ろうという、活気ある環境の中で制作された「俺たちの明日」は、CMソングとしても採用されヒット曲となる。ここから、エレファントカシマシの第二次黄金期が始まる。2008年に発表の18th Album「STARTING OVER」では久しぶりのTOP10入りを果たし、2009年発表の19th Album「昇れる太陽」では、オリコン3位を記録する。約8年ぶりの日本武道館単独公演「桜の花舞い上がる武道館」も開催され、バンドの最大動員を更新。

  


エレファントカシマシ「桜の花、舞い上がる道を」

 

2010年、2012年と2枚のFull Albumを発表。野村萬斎さん主演の大ヒット映画「のぼうの城」(2012年) にタイアップ楽曲として、エレファントカシマシが「ズレてる方がいい」を提供。


エレファントカシマシ「ズレてる方がいい」

バンドとしての音楽制作の方向性が徐々に固まりつつあり、順風満帆に活動をしているように見えていたが、エレファントカシマシはここで、大きな転換期を迎える事となる。

 

■病気と年齢を乗り越え

2012年、宮本が左耳の「外リンパ瘻」と診断され、長期ライブ活動休止を余儀なくされる。ここまで、止まる事なく走り続けてきた宮本は、生まれて初めて立ち止まり、自分自身を見つめ直す時期に入る。約1年間の充電を経て40歳を過ぎ、自身の老いも感じざるを得ない中で、未来との葛藤を抱えながら進んできた宮本は、ここでもめげる事なく、音楽にその全てを投影させ、名曲を生み出す。

 


エレファントカシマシ「RAINBOW」

 

2015年発売の22nd Albumの表題曲「RAINBOW」である。この作品は、老いも病気も全て受け入れ、それでも進んでいくと決めた、宮本とバンドの決意が垣間見られる。本作は、同年代の今までのファンだけでなく、プロデューサーにひと回り以上年齢の違う、村山☆潤を迎え、サウンドも変化した事で、若い層にも支持されるキッカケとなった。

 

■第三次黄金期

2017年、エレファントカシマシは遂にデビュー30周年を迎えた。「All Time Best Album THE FIGHTING MAN」と題した、全て宮本選曲の30曲入りのベスト盤を発売。本作は、エレファントカシマシ初のデイリーランキングオリコン1位を記録する。それからのエレファントカシマシの快進撃は止まらない。「30th ANNIVERSARY TOUR 2017 "THE FIGHTING MAN"」では、メンバー全員50代のロックバンドとしては前代未聞の、47都道府県ホールツアーを敢行。開始直後から口コミで評判が徐々に広まり、前半戦、16公演連続でSold Outとなる。バンドの第三次黄金期の始まりである。


LIVE Blu-ray / DVD「デビュー30周年記念コンサート"さらにドーンと行くぜ!"大阪城ホール」ダイジェスト映像

 

7月、NHK「みんなのうた」に41年ぶりに"再度、唄ってほしい"とオファーがあり、エレファントカシマシの49th Single「風と共に」がO.A.される。9月、日比谷野外音楽堂でのコンサート当日には、会場に入れなかった約2000人の"外聴き"のファンが集まったといわれ、未だ嘗てない現象と音楽業界全体が驚く事となる。新曲を発売しながらのツアーは、後半戦も全会場Sold Outとなり、エレファントカシマシ初となる、紅白歌合戦初出場を決めた。現時点で最大のヒット曲「今宵の月のように」を熱唱し、発売から10ヶ月経ったベスト盤が、ランキング上位に食い込むなど、大反響となる。

natalie.mu

 

しかし、それだけでは終わらなかった。2018年3月17日、さいたまスーパーアリーナにて開催された「30th ANNIVERSARY TOUR "THE FIGHTING MAN" FAINAL」は、初のアリーナ満員御礼。3月18日には、日本トップを走り続ける同世代のバンド、Mr.Childrenと、Spitzを迎え、「夢の競演」を果す。47都道府県ホールツアーを含め、トータル約10万人を動員し、バンドの動員記録を更新。それから約3ヶ月足らずで、23rd Album「Wake Up」を発表。オリコン4位を取得。同Album収録の「夢を追う旅人」は、オリンピックゴールドパートナーの「明治」の企業CMのタイアップとして、現在も採用されている。また、月間ギャラクシー賞を受賞したドラマのタイアップ曲で、50代にも関わらずバンドの初期衝動を結晶させた新曲「Easy Go」も収録。現在、ツアーのチケットは入手困難となり、ライヴフェスでも、幅広い層の新たなファンを取得しており、黄金期は継続している。


エレファントカシマシ「Easy Go」Short ver.

 

■これからの歴史絵巻

さて、彼等の"歴史絵巻"は非常に興味深く、そして読むのも疲れるほど長い。こんなに紆余曲折、行く先、行く先に、波風が立ったバンドが他にあるだろうか?そう。一晩では決して語れない"歴史の重み"を持つバンドだ。彼等の魅力はまず其処にある。また、宮本の書く詞は、ストレートでありつつも、探っても、探っても、到底たどり着けない日本人としての思慮深さを合わせ持ち、ソングライティングも、才能の幅広さを感じさせる。ポップであり、ロックであり、パンクであり、文学であり、美しいメロディは演歌で、歌謡曲でもあるのだ。彼等は一言では片付けられない"肩書き"を背負っている、日本で唯一無二のロックバンドである。30数年も、不動のメンバーで、今尚現役で、新譜を発表し続けているロックバンドは、まずそう居ない。そして、日本の美しさ、礼儀正しさ、音楽に対する真摯さを、ココロの奥底に持っているバンドでもある。どんな、ライブパフォーマンスを魅せようと、時に支離滅裂であったとしても、それをココロに持っていないバンドが、こんなに長く続くはずが無いのだ。

 

彼等の素晴らしさは音源だけでなく、その世界屈指ライブパフォーマンスと唄声にある。宮本浩次が一度唄い出すと、誰もがその声に取り憑かれ、魅了される。そして、その声を生かしたバンドサウンドを、試行錯誤しながら、側で鳴らし続け、支え続けた、石森敏行、冨永義之、高緑成治、3人のメンバーが居る。4人の深い絆と、音楽やバンドに対する愛は、生演奏を聴いてもらえれば一発で伝わるだろう。

 

彼等は、50代にして、大きな自信と愛をファンから受け取り、これからさらに飛躍しようとしている。彼等の"歴史絵巻"の先は、"希望"に満ちているのだ。まだまだ、真っ白なその絵巻に描く未来は、幾らだって塗り替えれるし、輝かせることができる。私はファンとして、その輝きをいつまでも、追い続けたいと願っている。彼等は必ず音楽で答えてくれる。その信頼を、一度たりとも疑ったことはない。「そうさ俺は必ず勝つ」。そう唄う、ロック屋の勝利とは何なのか。ファン一同、人生を共に歩む"同志"として、一緒に見届けれる事をとても嬉しく想う。

 

宮本浩次ほど、日本語を美しく唄うロック歌手を私は知らない。彼の唄を、メロディを、絶え間無く支え続けているバンドメンバーを他に知らない。今日から丁度、2年後。2020年7月24日から開催される、東京オリンピック。彼等は54歳になっているが、 きっと今と変わらず、高度経済成長期を生き抜いて来た同世代の"希望の星"であり、若い世代の"スーパーヒーロー"であり続けているに違いない。これからもそのままで、"ドーン"と、輝き続けて欲しいと、現在、過去、未来でずっと祈っている。

 

 

 

 

 

文:Johnny

 

 

 

 

参考文献:

1964年東京オリンピック - Wikipedia

2012年ロンドンオリンピックの閉会式 - Wikipedia

■AERA '18.6.25 No.28  現代の肖像

朝日新聞出版 最新刊行物:雑誌:AERA:AERA 2018年6月25日号

■ROCK IN'ON JAPAN 2000年1月号、2009年5月号

■MUSICA 2008年5月号